I look forward to your continued good will in the coming year.
JAN.2026
maejimahiroshi
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今日はクリスマスである。
このブログは、なにか理由がないと更新しなくなっている。
訪問していただく方が減っているのも、更新意欲の減退につながっている(他責的だな)。
今回は(も)、生存確認がわりにとりとめもないことを書く。
ご用とお急ぎでない方は、この先もご覧いただければ幸いである。
よく知られていることだが、12月25日はイエス・キリストの誕生日ということになっている。そして、これは4世紀後半にキリスト教会が古代ローマ帝国の冬至祭に合わせて決めたことで、実際の誕生日はいまだに「謎」である(聖書の記述からは「春頃」説が有力らしい)。
それはそれとして、
カトリック信徒のみなさま、主の御降誕、心よりお祝い申し上げます。神様の絶え間ないお恵みが、皆様の上に注がれますようお祈りいたします。
また、プロテスタントのみなさま、メリークリスマス! 主イエス・キリストの恵みと平安が、皆様と共にありますように、心よりお祈り申し上げます。
ということで、長く神の御許に仕える人々に使われてきた身としては、クリスマスといえば「クリスマスの御ミサ(そももそ「クリスマス」というのが、”キリストのミサ”の意味である。であるので、いろいろと気になる言い方だが、わたくしを使っていたカトリック修道会の中の人たちはそう呼んでいた)」の準備のあれこれを思い出す。それも、最近はだいぶ憑き物が落ちてきたようで、あまり「クリスマス」という言葉に反応することがなくなった。これは寂しいことなのか幸いなのか。
そのような中、個人的にはクリスマスといえば「サンタの追跡」が恒例である。
念のため書き添えておくが、これは、わたくしが神の御許に仕える人々に使われるようになる前からの楽しみである。
さて、では「サンタの追跡」とはなにか。
NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)はサンタクロースを追跡している。
そのサンタの軌跡は、NORADの専用サイトで公開されている。
これを見るのが「サンタの追跡」である。
https://www.noradsanta.org/ja/map
サンタのソリの発進基地は、グリーンランド北端にある「ノースポール空港」という事になっている。サンタクロースはフィンランドに住んでいるので、ここから飛び立つのはトナカイとソリだけである。
そこからソリが飛び立ち、サンタをフィンランドまで迎えに行く、というのが設定である。
サンタは、世界中の子どもにプレゼントを運ぶため超高空を高速で飛行する。
今、フライトレーダー24で確認したら高度3万メートルを6,780Km/mで、北米大陸を南進中だった。
サンタは、昨夜日本の上空にも現れた。東日本に太平洋側から入り、本州中央のやや太平洋寄りを南下、九州まで駆け抜けた。
ところで、なぜNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)はサンタクロースを追跡するのだろう。
これは、心温まるエピソードがきっかけになっている。
1955年 、コロラド州の百貨店シアーズが、地域の子どもたち向けに「サンタさんとお話しできる」という電話番号を載せた新聞広告を掲載した。
ところが、この電話番号が間違っていた。
番号は1文字違いで、NORADの前身であるCONAD(大陸防空司令部)の作戦司令部の直通番号になっていたのである。
クリスマスの夜、作戦司令部に「サンタとお話したい」子どもたちからの電話が殺到した。
当時の司令官、ハリー・シャウプ大佐は、電話をかけてきた子どもたちに「サンタが今どこにいるのか」をレーダーで確認し状況を伝えた。
なかなか、粋な計らいである。
この、ユーモアあふれる対応をきっかけに、CONADによるサンタ追跡は毎年恒例の行事になった。それが、NORADに引き継がれて続けられているのである。
「サンタの追跡」は今年で70周年を迎えた。
現在では、サンタの追跡は専用のウェブサイト”NORAD Tracks Santa”で公開されている。
人工衛星やレーダー、戦闘機まで駆使してサンタクロースの世界一周の旅を追跡し、世界中の子どもたち(と子どもの心を持った大人たち)に夢を届けている。
”NORAD Tracks Santa(日本語サイト )
https://www.noradsanta.org/ja/
生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟の最高裁判決が、本年6月27日言い渡された。
これについて、厚生労働省は次のように報道発表した。
***
生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟の最高裁判決について
生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟(第1審:大阪地裁及び名古屋地裁)について、本日、最高裁判所で判決が言い渡されたので、お知らせします。
1.判決言渡しのあった裁判所及び年月日
最高裁判所 令和7年6月27日
2.訴訟の内容
厚生労働大臣は、平成25年から平成27年にかけて、生活保護法による保護の基準(保護基準)中の生活扶助基準の改定(本件改定)を行い、被告各市の福祉事務所長らは、原告らに対し、本件改定を理由として、生活扶助の支給額を変更する旨の保護変更決定を行った。本件は、原告らが、本件改定は違法であるなどと主張して、
①被告各市を相手に上記保護変更決定の取消しを求めるとともに、
②被告国に対し国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めたもの。
3.判決の内容
自治体による保護変更決定処分を取り消す。
原告らの国に対する損害賠償請求を棄却する。
わが国は、2025年までにキャッシュレス決済比率40%にすることを目指しているらしい。
しかし、世間ではキャッシュレス決済をやめるところが増えている。
先週、たまにいく和菓子屋のレジ前に、キャッシュレス決済を止めたという貼り紙があった。
また、ファミリーマートも現金払いを歓迎すると宣伝している。
なぜだろう。
私たちが飲食店で食事をする。
その支払いは、キャッシュレス決済でも現金払いでも、支払う金額は変わらない。
しかし、お店はキャッシュレス決済にされると支払額の2~3%を手数料として決済会社に支払うことになる。
たとえば、お客が1,000円払ったとする。この場合、手数料は20~30円である。
なんだ20~30円か。お客はそう思う。
しかし、この認識は間違っている。
お店の側からこれを見ると、手数料の負担は1,000円のうちの20~30円ではない。
利益から20~30円を払っているのである。
もう少し詳しく説明する。
お客がお店で飲食する。支払いは1,000円である。
お店は、この1,000円から、材料費、光熱水費、人件費、家賃、販売管理費などを支出する。
それらを引いた残りが利益である。
飲食店の利益は業態や店舗その他の条件によって相当開きがあるが、一般的に8~9%と言われている。
すなわち、売り上げを1,000円とすれば、利益は80~90円である。
お店は、ここからさらにキャッシュレス決済の手数料を払っているのである。
もし、お客が現金で支払ってくれれば、店の利益は80~90円である。
しかし、キャッシュレス決済を使われれば利益の80~90円から手数料を20~30円引かれる。
その結果、利益は50円~70円になってしまう。現金払いとキャッシュレス決済では、利益が3割以上も違うのである。
お客は、自分が支払った金額から考えるので1,000円のうちの20~30円と思いがちである。
しかし、お店にしたら80~90円しかない利益から20~30円払うのだから大変である。
世間でキャッシュレス決済をやめるところが増えている理由はこれである。
特に、利益率が低い業種においてキャッシュレス決済手数料の負担は死活問題になりかねない。
そのような問題があるにも関わらず、キャッシュレス決済を歓迎している店もある。
理由はいくつもあるが、支払い手段を多様にすることで多くのお客に来てほしいというのをよく聞く。
これはこれで、ひとつの営業戦略だと思う。
では、お客である私たちはどうすべきなのだろう。
私は「個人経営のお店ではキャッシュレス決済を使わない」と決めている。上に挙げたように、お店の負担が大きすぎるからだ。
反対に、上場企業やそれに準ずる大きな会社が経営する店舗ではキャッシュレス決済を使うことがある。こうした店舗はそもそも体力があって手数料負担では経営が苦しくなり難いし、売上に比例して決済手数料がディスカウントされていると考えられるからだ。
お客からすると、キャッシュレス決済を使うとポイントが貯まる。使い慣れると現金払いより支払いがスムーズに行えるなど利点が多い。
だが、資本主義社会で物を買う行為には、そのお店なり会社の将来に一票を投じるのと同様の意味があるといわれる。
お気に入りのお店や会社にはできるだけよい形で商売や事業を続けてほしいと思う。
そのことを考えれば、少々のポイントや利便性に目をつむって現金で支払うことがあってもいいのではないか。
これは、あくまでも私の流儀である。
みなさんは、どう思われるだろうか。
“La pace sia con tutti voi!”
カトリック教会は、第267代教皇としてロバート・フランシス・プレヴォスト(Robert Francis Prevost)枢機卿を選任した。教皇就任後はレオ14世を名乗る。プレヴォスト枢機卿は前教皇庁司教省長官。アメリカ出身の教皇は初めて。
今回のコンクラーベは2日目に4回目の投票で教皇を選任した。
選任後初めてバルコニーに現れたプレボスト枢機卿は、広場に集まった信者らに冒頭に引用した言葉を皮切りにイタリア語で呼びかけを行った。加えて、特にペルーの信者らに向けてスペイン語でもメッセージを送った(プレヴォスト枢機卿は2015年にペルー国籍を取得している)。
“ローマ司教”(教皇)フランシスコ聖下が、4月21日午前7時35分(日本時間午後2時35分)、サン・ピエトロ大聖堂に隣接するサン・マルタ館(自宅)で逝去された。88歳だった。
+聖下に神様の平安がありますように。
※教皇フランシスコ聖下は、就任以来自ら「教皇」を名乗らず、一貫して「ローマ司教」の呼称を用いていた。本文冒頭の表記は聖下を偲びそれに倣った。
第37回社会福祉士国家試験の結果について
受験者数 27,616人(昨年34,539人)
合格者数 15,561人(同20,050)
合格率 56.3 %(同58.1 %)
合格点 62点以上(総得点129点)
I look forward to your continued good will in the coming year.
JAN.2025
maejimahiroshi
飲んでますか、コーヒー。
わたしはコーヒー好きです。
まあ、めちゃくちゃ好きとか詳しいっていうんじゃないですけど、仕事帰りにスタバに立ち寄るぐらいには好きです。
最近は、夕方以降に飲むと睡眠の質が下がるとか、いろいろと言われてるのでどうしようかとは思っています。このことはまた改めて書きます。
今日の本題は「コーヒー界隈が知らないうちに科学的になってた件」です。
いやーすごいことになってますよ、コーヒー界隈。
この前、コーヒー専門店の若手社員A君と話しをする機会があったんです。
びっくりしました。彼がとうとうと語ったのは「Brix」「TDS」「EY」「pH」なんていう、どっちかというと、白衣にマスク姿の科学者を思わせるような話だったんです。彼の言葉でわたしがかろうじて知っていたのはpHぐらいでした。「挽き立ての味と香り」とか「名人が淹れるコーヒー」なんていうのを喜んでたのは、いつのころでしたっけ。
上で出てきた科学みたいなコーヒー用語について、教わったのでメモしました。どうもこれを知らずに今のコーヒーシーンは見え無さそうだったので(サンプル数n=1)。
メモは、ほぼ記憶に頼っています。それに自分の知識をまぜて書いているので間違っていたらごめんなさい。
【Brix】
Brixとは「糖度」です。糖度は100g中にショ糖(砂糖)、果糖、転化糖、ブドウ糖などがどのぐらい含まれているかを%であらわしたものです。
これを測るのが糖度計です。糖度計はおもに光の屈折を利用して測り、それをBrix〇%という単位で表示します。
たとえば、100gのショ糖液にショ糖が1g溶けていたら、Brix値は1%です。
ここで注意が必要なのは、Brix値は糖以外の成分も含んで表示するってことです。
たとえば、炭水化物やタンパク質、リン、カルシウム、ナトリウムなんかが入っているとそれも含んだ値が表示されます。
では、コーヒーの濃さを知りたい場合は、どうするか。
まず、砂糖やミルクの入っていないブラックコーヒーを用意します。これで、Brix値から糖の影響を排除します。
それを糖度計に掛けます。
すると、糖度計は糖以外の水に溶ける成分(これを可用性固形物といいます)の濃さをBrix値として表示します。
水でコーヒーを抽出しただけだと、可用性固形物はすべてコーヒー豆由来のはずです(説明を簡単にするため、水質の影響は考えないことにします)。
このBrix値からコーヒーの成分がどれぐらい含まれているかを知るには、示された値に0.79を掛けます。
どうして0.79なのかは教わったんですが忘れてしまいました。とにかく記憶によれば0.79です。
これで出た結果が、次のTDS値です。
【TDS】(Total Dissolved Solids =総溶解固形物)
TDSは、その水に溶けている総ての物の濃度を表す値です。それを測るための道具として、TDS計とかコーヒー濃度計なんでいうのがあるみたいです。
Brixのところで書いたように、Brix値がわかればそれに0.79を掛けてTDS値を求めることができます。
Brix値×0.79。これで得られた数値がコーヒーに入っているコーヒー成分の割合です。
たとえば、Brix値が1.3%だったらTDS値は1.0%になります。
一般にTDS値は、ドリップコーヒーでは1%前後、エスプレッソでは8~9%だそうです。
【EY】(Extraction Yield=収率)
EYというのは、使ったコーヒー豆の成分がどのぐらいコーヒーに抽出されたかを表す数値です。EYを求める計算式は、こんな感じです。
EY=(抽出したコーヒーの量(g)×TDS(%))÷使ったコーヒー豆の量(g)×100(%)
たとえば、スターバックスのドリップコーヒー(ショートサイズ)240グラムのTDSを測ったとします。TDSが1.0%だったら、そのコーヒーには2.4gのコーヒー成分が抽出されています。このコーヒーを抽出するのにスターバックスがコーヒー豆12gを使っていたら、抽出された成分の割合は20%です。この20%がEYです。
ドリップコーヒーの適正なEYは18%~22%らしいです。EYがそれより高すぎると、味が強く飲みにくさを感じるようになり、反対に低すぎると薄くて味気なくなるそうです。これは想像できますね。
【pH】(Potential Hydrogen=水素イオン指数)
まずおさらいです。pHは0~14の数値で表されます。数字が小さいほど酸性度が強く、大きいほどアルカリ性が強いことを示します。中性はpH7です。
コーヒーのpHは5前後です。つまり弱酸性です。
コーヒーのpHはいろいろな要素で変化します。
まず、水の影響は決定的です。なにしろドリップコーヒーは99%が水です。コーヒーのpHはどんな水を使うかで決まります。
また、豆の産地も影響を与えます。たとえば、ケニアやマンデリンなどの酸味が強いコーヒー豆で淹れるとpH4ぐらいになるそうです。
さらに、焙煎によっても変わります。深煎りにすると弱酸性から中性寄りになるそうです。
今、というか少し前からだそうですが、研究熱心なコーヒー専門家はこんなことも考えながらコーヒーを淹れているそうです。
話しを聞いていて、これってスペインにあった三つ星レストラン「エル・ブジ(=El Bulli)」のオーナシェフ、フェラン・アドレア氏がいう「分子ガストロノミー」に少し似ているかなと思いました。いや、違うか。
Aさん、ありがとう。楽しいお話でした。もしこれを読まれて間違いに気づかれたら教えてください。
パリオリオンピック、女子柔道52キロ級で2回戦敗退した阿部詩選手の号泣が賛否両論を巻き起こしている。
柔道では無敗を誇るわたくし(高校で初段になって以来、一度も試合に出ていないから)の周辺では、敗れて畳を降りた後に3分近くも会場に響き渡るほど号泣し続けて、後の競技進行を妨げることになった阿部詩選手の振舞いに懐疑的な意見が多い。私が師匠と慕う年下のジュードーマスター(2段。ここ20年はアームチェア柔道家として主戦場を居酒屋に移し、もっぱらアルコールと戦っている)もテレビ中継でその場面を見て「”残心”がなっていない」と指摘し酷評していた。
だが、私の意見は”師匠”と少し違う。オリンピックの”JUDO”はあれでいいのではないかと思うのである。戦いは試合場内で終わっている。畳から降りて泣きじゃくるのは個人の感情の発露であって基本的に自由である。マナーの問題や後の競技進行に影響が出たというのは、せいぜい出場選手として問われることで「柔道家として残心云々」と指弾されるのは違うんじゃないかな、と思うからである(このエントリを”師匠”が見ないことを強く望む)。
なぜか。オリンピックのあれは”JUDO”であって「柔道」ではないからだ(柔道家が畳を降りた後も”残心”の必要があるか否かはここでは言及しない。その筋の人がうるさいことを言い出しそうなので)。
そう思ったのは、パリオリンピックの中継を見ていて、現地のフランス人リポーターがこの競技を“ル・ジュウドウ”と呼んでいることに気づいたからである。
lost in translationという言葉がある。
インターネットで”lost in translation”を検索すると『ロスト・イン・トランスレーション』という映画がヒットする。この映画は、映画監督フランシス・コッポラの娘で自身も映画監督のソフィア・コッポラがアカデミー賞受賞作(脚本賞)を取った同名の作品(2003年公開)があるが、それではない。
”lost in translation”は「異なる言葉の間では文化をまるごと正しく移し替えるのは無理で、かならずなにかが変わったり失われてしまう」という意味合いの言葉である(この括弧内の説明も lost in translation である)。
つまり、”JUDO”にせよ、ル・ジュウドウにせよ、日本人が「柔道」という言葉から受け取っているものとは違っているのである。
少々経験者向けの話になるが、たとえば、パリオリンピック男子柔道日本代表監督・鈴木桂治監督は7月31日に行われた男子90キロ級の決勝戦を振り返って、ジョージアのラシャ・ベカウリ選手に負けた村尾三四郎選手について「詰めが甘かった」と報道陣のインタビューで語った。
鈴木発言の真意を読み取るのは難しい。
ペーパー初段として解説を試みると、「柔道」では技を掛けにいくことで技ありが認められるが、オリンピックなどで行われる”JUDO”では返し技に技ありを認める傾向が強いと言われている。上のベカウリ対村尾戦では、残り1分で村尾選手が内股を仕掛けた。しかし審判はこれに技ありを取らなかった。これに対してベカウリ選手が残り4秒で技ありを決めた。このあたりのニュアンスは説明が難しいが、そういうものだと思ってもらいたい。鈴木監督が言外に含んだのは、残り1分で村尾選手が技を掛けた時に、技ありではなくもっと踏み込んで一本勝ちをとるべきだったということではないだろうか。
この決勝戦については、日本では誤審、ひいては八百長だと根拠不明の批判をする人まで出たが、鈴木監督は冷静だった。それは、鈴木監督が冷静にこの「競技」を”JUDO”として捉えているからだと思う。鈴木監督のコメントは lost in translation を踏まえたものであると思う。
阿部詩選手を含むすべてのオリンピックJUDO出場者は、当然この競技が「柔道」ではなく”JUDO”であることを理解し合意して出場している。
したがって、阿部詩選手にとって試合後のあの場はあくまでも”JUDOの試合後”であって、「柔道」家としての時間ではなかったと思う。
私が阿部詩選手を擁護するのはこうした理由からである。