日本の社会福祉、とりわけわが国の社会福祉制度の根幹をなす生活保護制度は、最低生活費を算定しそれを下回った場合に差額を給付することになっています。この根底には、生活の質、ひいては人権の擁護を金銭で推し量ることができる、あるいは実現できるという考え方があるように思います。そして、この考え方は国民全体の合意が得られているために存続されているのだと思います。
このエントリでは、このわが国の社会福祉制度の根幹をなすこの考え方を再検証し、人権を守ることとと金銭を給付することを切り離すことは可能だと仮定して、わが国における将来の新しい社会福祉象を描くことができるか考えてみます。
最初に
このエントリは「人権擁護と金銭給付の切り離し」というわが国の社会保障制度の根本である生活保護制度のしくみ自体への形式的反論を出発的にした、非常に重要かつ根源的ではあるが、同時に非現実的かつ無茶な問いかけを前提にしています。このエントリでは、この問いかけ自体の妥当性は一切疑わないことにして、考えられる課題を限られたスペース(ブログのエントリは3,000字以内と決めている)とわたくしの根気の範囲で多角的に分析し、あるべき社会福祉の将来像を描いています。
ご指摘や反論は無尽蔵にあると思いますが、それは無しでお願いします。指摘・反論がある方はスルーしてください。万一、このお願いを破って指摘・反論を言う人が現れた場合、わたくしにはその人に対して毅然と平謝りする用意があります。
1 前提
(1)生活保護制度は「人権の擁護を金銭で推し量る」考え方に基づいている
わが国の生活保護制度は、日本国憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権の理念に基づいています。(1)は、この制度の運用実態をわたくしなりに表現したものです。
この「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な費用(最低生活費)を金銭で算定し、収入がそれに満たない場合に差額を給付する、というのが生活保護制度の骨格です。
先に述べたように、この仕組みは「最低限の尊厳ある生活」を金銭という単一の尺度に換算しているように見えます。その結果、以下のような課題が生じています。
①人権の多面性の捨象
人間の尊厳は、食事や住居といった物理的な充足だけで満たされるものではありません。社会的なつながり、自己肯定感、学びや成長の機会、他者から尊重されることなど、金銭では直接的に購入できない価値が不可欠です。現行制度は、こうした非金銭的な人権の側面を十分にカバーできているとは言えません。
②スティグマの発生
金銭給付を受けることが「一人前ではない」「社会のお荷物」といったスティグマを生み出し、利用者の尊厳をかえって傷つけることがあります。これは、金銭の多寡が人間の価値と結びつけられがちな社会関係性において、特に顕著です。
③パターナリズム(父権的保護主義)
生活を制度が算定した「最低限」の枠内に生活を(あえて言うならば)押し込め、「お金をあげているのだから、これくらいの不自由は我慢しなさい」といった無言の圧力を生む構造になってはいないでしょうか。もしそうならば、このことは個人の自己決定権という重要な人権を制約しかねません。
これが是ならば、上の「人権を金銭で推し量る」という側面は、生活保護制度の本質的な課題として存在すると言えるでしょう。
(2)この考え方は「国民全体の合意」によっている
この点について、より慎重に表現すると「合意」というよりは「代替案が確立されていないことによる、消極的な容認」と捉える方が実態に近いと思います。
実際には、生活保護制度に対する国民の意識は一様ではありません。
①制度への批判
不正受給への批判、給付水準が高すぎるといった意見は根強く存在します。
②制度への無理解・無関心
生活保護制度の理念や実態を知らない人はたくさんいます。その人たちは、自分とは無関係なことと捉えがちです。
③制度改革の議論
専門家や支援団体の間では、生活保護の捕捉率の低さ(利用すべき人の2〜3割しか利用できていないという推計があります)、申請主義の弊害、資産要件の厳しさなど、多くの問題点が指摘され、絶えず改革が議論されています。
このように振り返ると、「国民全体の積極的な合意」にも増して、まず憲法第25条にいう生存権を保障する最後のセーフティネットとして不可欠であるという認識があり、その実現に向けて多くの課題を抱えながらも他に有効な代替策がないまま存続している、というのがより正確な現状分析であることに、ここまで書いてきて気づきました。設定が甘々でした。すみません。
それでは、このエントリの本論に入ります。
2 人権擁護と金銭給付の切り離しは可能か
これについて直接的な結論は、「完全な切り離しは、現実的ではない。しかし、両者の関係性を問い直し、再構築することは可能であり、かつ、それこそが新しい社会福祉の鍵となる」というものになると思います。
現代の貨幣経済社会において、食料、住居、医療、衛生といった物理的な生存基盤を確保するために、金銭は極めて有効かつ効率的な手段です。
全てを現物支給に切り替えることは、個人の選択の自由を著しく奪い、かえって人権を侵害する「大きな政府」や管理社会につながる危険性をはらんでいます。たとえば、全員に同じ食事、同じ衣服、同じ住居を支給することは、個人の尊厳を踏みにじることになるでしょう。
したがって、目指すべきは「金銭給付かその廃止か」という二元論ではありません。金銭給付の役割を「人間の価値を測る尺度」から「個人の自由と選択を支えるための普遍的な基盤」へと転換させることが重要になります。
それと同時に、金銭だけでは保障できない人権の側面を、社会全体で重層的に支える仕組みを構築することが求められるでしょう。
では、将来に向けてわが国の社会福祉制度はどのようになっていくのが望ましいでしょうか。
3 あるべき社会福祉の将来像を考える
ここまでの展開を踏まえて、あるべき社会福祉の将来像を考える上で重要となる3つの柱を挙げます。
これは、経済学者のアマルティア・センが提唱した「ケイパビリティ・アプローチ(潜在能力アプローチ)」の考え方からインスパイアされたを丸パクリしたものです。
アマルティア・センは、人が持つ「財(モノやお金)」そのものではなく、それを元手にして「何ができ、何になることができるか(=潜在能力、ケイパビリティ)」という「本当の豊かさ」に焦点を当てる考え方を示しています。
1つめの柱「金銭給付の再定義」
①「尊厳のための基礎所得(Dignity Floor Income)」
現行の生活保護制度を、スティグマや選別の色合いが濃い「最後の手段」から、全ての人の尊厳と自由な生活選択を支える「普遍的な基盤」へと変革します。
②給付付き税額控除の拡充とベーシックインカム的制度の導入
勤労世代を含む全ての低所得者層を対象に、社会保険料や税の仕組みと一体化した形で、自動的・捕捉率高く現金を給付する「給付付き税額控除」を抜本的に拡充します。
将来的には、これを「負の所得税」や、全ての個人に無条件で定額を給付する「ベーシックインカム」へと発展させていくことを目指します。
③目的の転換
この金銭給付の目的は、「最低限の生活の維持」ではありません。市民が経済的な不安から解放され、学び直し、起業、地域活動への参加、ケア労働など、市場経済では評価されにくい多様な活動に挑戦するための「機会の元手」と位置づけます。
これにより、金銭は人権を推し量る尺度ではなく、人権(自己決定権や自由)を行使するためのエンパワーメントのツールとなります。
2つめの柱「普遍的アクセスが可能な「人権保障サービス」の確立」
金銭給付だけでは解決できない課題に対応するため、所得や資産の有無にかかわらず、必要とする誰もがアクセスできる質の高い公的サービスを社会の共通資本として整備します。
①ハウジング・ファーストの徹底
まず安定した住居を提供し、そこを拠点に他の支援を行う「ハウジング・ファースト」の理念を、ホームレス状態にある人だけでなく、不安定な住居に暮らす全ての人に適用します。
②ケア・医療・教育への無償アクセス
医療、介護、保育、そして生涯にわたるリカレント教育へのアクセスを、経済的な障壁なく保障します。
③「伴走型支援」の標準化
ソーシャルワーカーなどの専門職が、一人ひとりの状況に寄り添い、制度の申請を手伝うだけでなく、社会的孤立からの脱却、キャリア形成、家族関係の調整など、その人が自らの人生の主人公となるためのプロセスを長期的に支援します。
これは、金銭では買えない「関係性の中での尊厳の回復」を目指すものです。
3つめの柱「多様な主体が参画する「包摂的コミュニティ」の醸成」
行政だけでなく、NPO、協同組合、ソーシャルビジネス、地域住民、企業などが連携し、フォーマルな制度の隙間を埋める重層的なセーフティネットを構築します。
①「居場所」と「出番」の創出
こども食堂、コミュニティカフェ、共同菜園、シェアオフィスなど、年齢や障害の有無、経済状況にかかわらず、誰もが安心して過ごせる「居場所」と、小さな役割でも社会に貢献できる「出番」を地域の中に無数に創出します。
②社会的孤立の解消
テクノロジーも活用しながら、孤立しがちな人々を見つけ出し、必要な支援やコミュニティにつなぐアウトリーチ活動を強化します。
③企業の社会的責任(CSR)の進化
企業が単なる利益追求だけでなく、従業員や地域社会の人々のウェルビーイング向上に貢献することを、その中核的な価値に据えるような社会経済システムへの転換を促します。
【結論】
このエントリの最初に挙げた「人権を守ることと金銭を支給することを切り離すことは可能か」という問いかけは、もう一度言いますが社会福祉の現状を無視したまったく無茶な問いかけです。
しかし、それに対する思考実験(屁理屈ともいう)としてエントリを書き進めるうちに、もしかしてこれは、今の社会福祉を原点に立ち返らせる問いかけではないかと思いかけました。もちろんこのエントリで述べたのは誤った自己陶酔を超えるものではありません。しかし、そういう理性を無視して考えないとエントリが書き進められませんでした。
そこで理性をいったんカッコに入れて考えた結果至った結論は、「人権を守ることと金銭を支給することを切り離すことは可能か」を実現させるのは「金銭給付を否定することではない」というものでした。
それには、①金銭給付を「個人の自由を支える基盤」として再定義すること、②普遍的な「人権保障サービス」と多様な主体が織りなす「インクルーシブなコミュニティ」という両輪を力強く駆動させることの2つがカギを握ることになると思います。
この新しい社会福祉の将来像は、単に貧困から救済するといった「マイナスをゼロにする」社会福祉ではなく、「ゼロをプラスにする」、すなわち、すべての人が尊厳を保ち、自らの潜在能力を開花させ、豊かに生きることを積極的に支援する社会を目指すものになると思います。
それこそが、実は憲法25条が真に目指す「健康で文化的な生活」の、現代における具体的な姿と言えるのではないか、と弱々しく宣言してエントリを終えたいと思います。
お時間を取らせて、本当に申し訳ございませんでした。m(_ _)m